小説『117+』(仮)第十二話 「2005年1月17日 ―赤羽緋美子―」 

今日は米村先輩が吹奏楽部に遊びに来るらしい。
アオバは急なことで驚いている様子だ。



「だって、そんなの聞いてないよ!
普段は一週間に一回とかだし、昨日の今日で来るなんて聞いてないよう!」
焦るアオバ。私はそれをボーッとみている。
「ちょっとヒミコ、あんたも手伝ってよ!」
「へ? 何を?」
「ハンカチの色! どっちがいいと思う?」


私はため息をひとつついた。
「あのさあ…」
「何よ!」
「まずさ、ハンカチの色なんてどうだっていいじゃん」
「馬鹿ヒミコ! さりげなく取り出すハンカチの色が、
潜在的な人間の印象にかかわってくるんだよ!」
「うん。じゃあわかった。それは大切だね」
「何よ」
「それをさ、あたしに聞くのって、どうなの? おかしくない?」
「何で!」
「こんなにリボンがよれよれの女が、ハンカチの色に関して的確な指示を出せると思った?」


すかさず私のリボンを直しにかかるアオバ。
「もうっ! ヒミコは何でこんなにだらしがないの?」
「あんた、今日は自分のこと優先しなさいよ」
「ああ! もう何していいのかわかんない! 混乱してきた!」


こんだけ人を好きになれるって
すごく素敵なことだなって思う。
ひそやかにうらやましい。




「何だ。まだつけるのか?」
放課後、音楽室近辺まで引っ張ってきたリュウタが不平を洩らす。
「当たり前でしょ! まだあの大学生がどんな人間なのかわかったもんじゃないんだから」
「お前、あん時で懲りろよ…。見事にばれてたんだろ。俺もうかかわりたくないよ…」
「じゃあもういい! あんた一人で帰って!」


叫ぶと、リュウタはそのまま帰って行った。
何かつぶやいたような気もするが、よく聞こえなかった。


練習時間は特に何もなかった。
大学生は普通に女の子たちに何かを教えている。
残念ながら知識がないので私にはよくわからないが、普通の練習風景だということはよくわかる。


さて、問題は帰る時間だ。
今日はとりあえず大学生の家を把握しておきたい。
そうすれば、大学生の交友関係、アオバたちには見せないもう一つの顔なんかも見えてくるはずだ。
そういうわけで、部員たちが帰る支度をし始めたのを見届けて、
私は自分の勉強鞄を教室まで取りに行く。


素早く鞄を取ると、次は正門近くまでダッシュ
とりあえずは先回りだ。


と、教室を出たときに、
廊下の端から、ひとつの人影が迫ってくるのが見えた。


残ってた生徒の一人かな。
そう心に残しつつ、帰ろうとした瞬間。



「接近」



頭の奥で再び声がした。
あのときの「エンカウント」と同じ声だ。



何?
あの声はやっぱり聞き間違いじゃなかったの?
それとも、私の頭はいよいよ本格的におかしくなってしまったのか。


不意に胸に不安が迫る。
何かが近づいてきている。
心臓の音がクラブのダンスミュージックみたいに、定期的に、だが強く激しく響く。
皮膚が全身に警報を発令している。


私、おかしくなっちゃったんだ。
早く帰ろう。そして母親にこのことを伝えて、
病院に連れて行ってもらおう。


そう思って
ふと、再び人影の方を見ると


迫ってきてたはずの人影の方も
足を止めてしまっていた。


彼も、私を見て、何かに反応している。


その人影は、花沢先生だった。
「お前だったのか。赤羽」


なぜか花沢先生は、目に大量の涙を浮かべていた。





(この文章はフィクションです
実際の人物、団体、地名などとは一切関係ありません)

小説『117+』(仮)第十一話 「2005年1月16日 ―米村秀彦―」

赤羽緋美子は、なんだかんだ言って、状況を把握しているのだと思う。
そうとしか考えられない。



「いや、そんなはずはないだろう」
幸本さくらはすぐに米村を否定した。
「彼女は最初の10分程度ゲームに触れて、すぐにやめてしまったとのことだ。
管理人もまだ状況判断に困っていると聞く」
「随分詳しいな」
「福田がそう解析している」
「じゃあ、俺が学校に近づいた時のエンカウントはなんなんだ?」



「白影の一派が近くにいたという可能性は?」
「連中の姿は特徴的で分かりやすい。近くにいたらすぐにわかるだろう」
「…果実連合は?」
「連合は傍観を決め込んだんだろう? それはお前の情報だ」
「傍観を決めたのは赤羽緋美子に関してだ。お前に対してじゃない」
「しかし、傍観を決め込んだのは、俺と緋美子を衝突させたいからだろう?
違うのか?」


幸本はどこか宙の一点を見つめ続けている。
「ならば、我々の知らない使い手が一人、紛れ込んでいるか」
「何でエンカウントしたのが赤羽緋美子だっていう結論にならないんだ?」
「赤羽緋美子がお前に敵意を持つ理由がわからん」
「それは俺たちがわからないだけだ。実際、報酬のことを考えれば
エンカウントする理由などいくらでも考えられる。彼女だって人間である以上、な」



幸本は納得のいかない様子だった。
「なあ。お前が祐樹と戦いたくないのはわかる」
「あいつは祐樹じゃない」
「でも、『祐樹』を引き継いだ可能性が高い。…祐樹がどんなつもりで彼女に
ソフトを託したのかはわからないが、おれたちには彼女がどんな人間なのか分からないんだ」
幸本は何も答えなかった。
「戦闘の準備に入る」
米村は手短に言った。
「明日、エンカウント状態の赤羽緋美子と衝突する。
出来れば生け捕りにするつもりだが、ダメなら破壊する。
赤羽緋美子の能力は未知数なので、可能な限りの装備を整える。
そして、念のため、福田を校門前でエンカウント状態で待機させる。
…許可はもらえるな」
幸本は何も言わなかった。




「やっぱり、赤羽緋美子と衝突するのかい?」
米村が装備の調達を頼むと、福田和行は米村の機嫌を伺うような声で聞いてきた。
「何か文句でもあるのか?」
「ない! ないよ。ないけど…」
「口ごもるな」
「あの子、たぶんいい子だよ」
米村は福田に半ば軽蔑したかのような視線を向ける。
「お前の好みとか、そういう話ができるような状況だと思ったのか?」
「違うよ。そういうことじゃないよ。…ちゃんとおしゃれとかしたら可愛いとは思うけど…」
「下らん。おれにはわからん」
「秀ちゃんにはわかんないよ」
福田は恐る恐る、だが非難のニュアンスを混ぜたまなざしを福田に向けた。
「秀ちゃん、大原青葉って女の子、秀ちゃんのこと好きだって気づいた?」


米村は福田に怪訝そうに振り返った。
「…何の事だ?」
「秀ちゃん、そういうの鈍感だもんな。…あのお食事会は、あの青葉って子が
秀ちゃんに近づくために企画したんだよ。
…でね、あの緋美子って子は、青葉って子と秀ちゃんをくっつけようとしてたんだよ」
「…確証はあるのか?」
「…ないけど」
米村は福田の肩を持つと、静かに、だが強く言葉をぶつけた。
「いいか。確かにお前の言う通りなら、緋美子はこちらに対してエンカウントしたわけじゃないことになるな。
だが、確証はないんだろう。結局はお前の直観にすぎないんだろう。
緋美子がこちらの命を狙っていないと保証はできないんだろう?」
「できないよ…ごめん」
「準備だ」
米村がそう言って福田を突き飛ばすと、
福田はしぶしぶといった感じでファミコンのスイッチを入れた。




(この文章はフィクションです。
実際の人物、団体、地名などとは一切関係がありません)

小説『117+』(仮)第十話 「2005年1月16日 ―赤羽緋美子―」

あまりにも突拍子もない出来事には、もう無視しかない。



アオバが言うには、
あの目つきの悪い大学生は、私の名前を知っていて、
しかも私に興味があるらしい。
「ひょっとしたら米村先輩、ヒミコのこと狙ってるんじゃ」
アオバが呟くので、私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「いやいやいやいや! じゃあなんで吹奏楽部に近づいたの。そんな回りくどい」
「OBだし。吹奏楽部員のあたしとヒミコが仲良さそうなところ見て、
あたしをダシに近づこうとしたんだ。絶対そうだ」
「じゃあさ、もっとあたしにやさしい目をしてくれたっていいじゃん!」



その言葉にアオバの顔が一瞬キョトンとなる。
「アオバをつけて、ファミレス入ったときだけどさ、トイレであの大学生とすれ違ったのよ。
でもやっぱ厳しい顔してたよ。何か怖かった」
「あたしたちといた時も怖かったもん。機嫌が悪かったんだよ」
「いや、もっと怖い顔してた。なんていうか、親の仇みたいな感じでこっちを見てたの。
あたし狙ってるなら、もっとあたしの機嫌取りなさいよって感じ」
「…っていうことは?」
「たぶん、あたしに恨みがあるんだよ。何かあたし、知らないとこで大学生の恨みを買っちゃったのよ」



アオバは大きなため息をひとつついた。
「そんなの、何の根拠もないじゃない。ばかばかしい」
「それを言うなら、あの人があたしを好きだってのも、何の根拠もないでしょ!」



結局のところ、二人で話をしていても何の解決にもならなかった。
もちろん、そこにリュウタが入ってきても同じだった。
リュウタは「3Pがしたいんじゃね?」などと意味不明な言葉を吐いたので、一撃加えておいた。



わからないことは無視。
それよりも、アオバと大学生をくっつけることを考えなくちゃ。
そのためにも、一度大学生とは会っておく必要があるかもしれない。
ちょうどアオバも、今度私を会わせると大学生に約束したらしい。
彼が私の何を知っているのか、その時に聞いてみようと思う。



帰りの時間。
アオバは今日も吹奏楽部の練習があったので、
一人で帰ろうと校門を出ようとした際に、
担任の花沢先生に呼びとめられた。



吹奏楽部に来ているOBってのは、今日も来るのかな?」
私は、そのOBがどのくらいの頻度で来るのか分からないので、
素直にそう答えた。
花沢先生に別段の反応はなかった。
「いや、OBってのは一応部外者だからな。
何か校内で問題を起こされても困るから、話を聞いた以上は把握しておきたいなと思ってな」



確かにあやしい男かもしれない。




本当に追跡すべきは、
アオバじゃなくて、あの大学生だ。





(この小説はフィクションです
実際の人物、団体、地名などとは一切関係ありません)

小説『117+』(仮)第九話 「2005年1月15日 ―赤羽緋美子―」

なんという浅はかさ。
なんという愚かしい行為。
私のばか。



わからないけど、見た感じ賢そうな人だった。
あのやり取りで、何かを察するなという方に無理がある。
「アオバ全然関係ないですから!」
自分の台詞を思い出すたびに、心臓と胃が痛くなる。


「お前、本当にばかなんだな」
リュウタに昨日の出来事を話すと、私が思っている通りの憎まれ口を返してきた。
でも今はいい。今は慰められても空しいだけだ。
今日は自分を責め立てたい気分。


「いや、ヒミコは関係ないよ」
事情を大概飲み込んだ(飲み込んでしまったのだ。リュウタの口の軽さによって)アオバは
実に暗い表情で私を慰めてくれた。
「だって、もう関係ないもん」
「いや、そんなこと…」
「あの人、やっぱりあたしたちに全然興味ないもん。昨日も全然楽しくなさそうだったしさ」


不意に私に、二択の選択肢が舞い降りてきた。
A「そんなことないよ! アオバががんばればあの人もきっと振り向いてくれるよ!」
B「それでよかったよアオバ。だってあの人正直危なそうだったもん」



一瞬考えたのち、フィーリングでBを選んだ。
「それでよかったよアオバ。だってあの人正直危なそうだったもん。
目つきだって怖かったし。アオバ、付き合ってたら一週間で南アジアのどこかに
連れていかれちゃうって。間違いないって」
アオバはそれを聞いて、急に涙をこぼし始めた。
「そんなこと言ったって、好きだったんだもん」
「よしよし、もう泣くな」
普段は気になってしょうがないはずの服のしわにもかまわず、私に飛びついて延々と泣いている。


こういう一面も見せるから、アオバは素敵だ。
そんな様子を、リュウタは鼻で笑うので
私はすかさずリュウタの腹を蹴った。




「あ、そういえば」
アオバは急に泣きやむと、私に問いかけてきた。
「ヒミコ、あんた、先輩と知り合い?」
「別に…」
アオバの急で唐突な質問に私は一瞬硬直する。
「そっか」
「何で?」


アオバは口をとがらせてつぶやいた。
「先輩、妙にあんたのことに興味があったようだからさ」





(この文章はフィクションです。
実際に出てくる人物、団体、地名などとは一切関係ありません)

小説『117+』第八話 「2005年1月14日 ―米村秀彦―」

例の女は目の前にいた。
話を聞いた時、特に何かを想像していたつもりはなかったはずだが
実際に目の当たりにすると、やはり、どこか弱々しく、頼りなげに見えてしまう。


つまり、俺は想像してしまっていたのだ。
この女がどんな人物だったのか。
情報を聞いた時に、心のどこかで「強い女」を想像してしまっていたわけだ。


まあこの女の性格が強いか弱いかは関係ない。
肝心なのは能力の方だった。


「すいません。ちょっと通してもらえますか?」
女は手で切るように俺の横を通ろうとした。
ふたりがいるにはいささか狭すぎる廊下だったのだ。
俺はすかさず女につぶやいた。
「お前がついてきていることは知っていた」


女は目を丸くしてこっちを見た。
いや、こっちの気づきを悟られなかったのはうれしいが
そんなに驚かなくても。
こっちはそのために、引退した吹奏楽部の部室にやってきていたのだ。


こちらが口を開こうとすると、すかさず彼女が口をはさんだ。
「どうもすみませんでした!」
いや、責めてるんじゃなくて、とこちらが言おうとすると、再び話し始める女。
「あたし、アオバが話してた人がどんな人なのか確認したくて!
普通の人ならいいんだけど、変な人だったり悪い人だったりしたらアオバを止めようかと!」
それは別に、と言おうとすると
「ああ! 別にあなたのことをそういう風に疑ってたとか、そんなことは全然なくて、
ただ、自分の目で確認しておきたくて。万が一って感じで!」
いや、俺が話したいのは…
「あああ! さっきの、アオバを止めようとか、あれは別にそういうことじゃないですから!
アオバ、そんなこと一つも言ってないから! アオバ関係ないですから!」


結局彼女は、こちらが呼び止める前にどこかへ行ってしまった。
先ほど男と二人ですわっていた席があったのだが、もうすでに空っぽになってしまっていた。
いろいろな意味で怯えてしまって、逃げたのだろう。
話さなければならないことは多くあったのだが。


席に戻ると、吹奏楽部の一人が自分にコーヒーを持ってきてくれていた。
この子は特に、自分に対して奇妙に気をまわしている。まるで小間使いのようだ。
「何か…なんていうか、ごめんなさい。無理につき合わせて」
ひょっとして、俺が神経をとがらせていることに気づいたのだろうか。
割と誤魔化していたつもりだったんだが。
「楽しいよ」
言っては見たが、どことなくぶっきらぼうな感じになってしまった。



そこで俺はふと、この子の顔を見た。



そういえば、この子と女は、友達同士だったか?



「大原さん、だっけ?」
名前を聞くと、うれしそうに反応が返ってくる。
「はい! アオバです!」
「君、そういえばおととい、友達と歩いてたよね。あの子も吹奏楽部?」
「…ヒミコのことかな?」



当たりだ。
この子から、赤羽緋美子の情報を聞き出すことができるかもしれない。





(この文章はフィクションです
実際の人物、団体、地名などとは一切関係がありません)

小説『117+』(仮)第七話 「2005年1月14日 ―赤羽緋美子―」

そんなイケメンか?
いや、確かに顔は整っている。名前は忘れたけど、どっかの韓流スターに似てる。
眼鏡が似合う方じゃなくて、黒髪でワイルドな方。
ただ、顔が険しすぎる。何に怒ってるの?って感じだ。



「ご飯に誘っちゃった!」
今朝はアオバが、私の制服のしわを突っ込む前に、そんな喜びの声を上げてきた。
「…え?」
「この前話した、大学生!」


私は思わず「ああ!」と声を上げた。
「やるじゃんアオバ! あんた見かけによらず攻めるね!」
アオバは少し照れくさそうにはにかむ。
「ほかの子たちと一緒だけどね。練習中に、なんとなく苦労話っていうか、愚痴っぽくなって」


で、そういう話を大学生の前でしてたら意外と食い付きが良くて、
ここぞとばかりに踏み込むと。「そういう話、もっといっぱい聞きたいです! 明日ご飯どうですか?」
まあそういうような話。
大胆だ。


アオバがうれしそうなのはいい。
この子は人よりもずっと真面目で、おせっかいだけどちゃんと想像力もある。
私の中で、もっとも報われるべき女の子の一人なのだ。
こいつは、もうちょっとは幸せになってもいい。


ただ、自分がこの恋に関して何一つ役割を果たしていないことに、
少しだけ寂しい気分になった。
なんだ。私いらないじゃん。
アオバ一人でなんとかなりそうじゃん。


「は? 何言ってるの? お前の仕事終わってないよ」
そんな言葉をリュウタにぶつけられたのが、昼休みの屋上でだ。
「だって、アオバ一人でどんどん前に進められるじゃん。うまくいくにしても、駄目にしても
もうあたしの力じゃどうしようもないよ」
リュウタは私の言葉にため息をひとつつく。
「いっそ駄目になるなら問題はねえよ」
「はあ?」
言葉の意味を測りかねる私に、リュウタが顔を近づける。
「いいか。いざアオバがその大学生と付き合いだして、
その大学生が、たとえば女をぶん殴るのが趣味の変態ドS男だったらどうする?
おまえはアオバの顔にあざが増えていくのをただ黙って見過ごすのか?」
「そんな…でもあたしたち、その大学生がどんな人なのかはわからないんだよ」
「それだよ! 俺らはその男のことを見極めなきゃならないんだよ!」



そんなリュウタの言葉に乗せられて、アオバをストーキングした末に
入って行ったファミレス。
アオバと、他の制服の女の子たちにまぎれて、確かに学ランではない男が一人。
件の大学生は、あれに間違いない。
それを遠目に見ている私とリュウタ。
バカだ。


「しかし、なんか険しい顔してるな」
リュウタがポロリと洩らす。
それだ。私もそう思っていた。
ほかの女の子たちは気づいていないのだろうか。大学生を囲んで楽しそうに話をしている。
でも、アオバの様子はちょっと違う。やっぱり大学生の顔が怖いのだろう。
やたらと大学生の周りに気を使っている。
飲み物取ってきましょうか、おしぼり取ってきましょうか、スープ取ってきましょうか。
おまえはメイドか。心の中で突っ込んでしまう。
あんたが前に出なくてどうするのよ。



「ちょっとトイレ」
私は何となく席を立った。
「うんこか」
リュウタの、死ぬほどくだらない言葉を無視して、私は洗面所に向かった。


そして、トイレから席に戻ろうとしたとき、
男子トイレの扉の前に男が一人立っていた。
私の方をじっと睨みつけている。



さっきの大学生だ。




(この文章はフィクションです
実際の人物、団体、地名などとは一切関係がありません)

小説『117+』(仮)第六話 「2005年1月13日 ―赤羽緋美子―」

「どうするかねえ」




フェンスに囲まれた空を見つめながら、隣にいる不良が呟く。
下の方から、グラウンドで走りまわる陸上部の掛け声が聞こえる。
要するに、放課後の屋上だ。


「どうするかねえ、じゃない。こう言うのはあんたの方が経験あるでしょ!」
「知らねえよ、そんなこと言ったって。アオバとはお前の方が仲がいいだろ」
「…不良のくせに」
「おれは不良じゃねえよ」


昨日のファミレスでの話。簡単にまとめてしまうと、恋の話だった。


「大学生ってさ、高校生のこと、どう思うかな」
アオバの最初にそう切り出した。
「どうって?」
「たとえばさ、大学生の男の人が、高校生と付き合いだしたりしたら
その大学生は、ロリコンとか言われて周りから悪く扱われちゃったりするのかな」


そんなもん、知りようがなかった。
大学生がどんなもんなんか分からないし。
「さあねえ…何学生か、とかよりもその人自身がどうか、の方が大切なんじゃない?」
「…まあ、そりゃあそうだろうね」
「それにさ、高校3年生と大学1年生じゃ、普通一つしか歳が離れてないし、
それでロリコンとか言い出したら、あたしの親父までロリコンじゃないの。
お母さんはとっくに50超えてるけど」
「大学4年生と高校2年生では?」



そこで、私は思わずアオバを見た。
アオバの様子は、平然としているようで妙に落ち着かない。


私の心の中に、大きな喜びと不安が湧きあがる。
アオバは、私に恋の相談をしてくれてるんだ。
アオバは、私のことを、それだけの価値がある人間として扱ってくれてるんだ。
その事が素直にうれしかった。こんなこと、はじめてだったから。


さて、ここからが問題。
私は、そういった経験を一切持っていないんだ。
バイトしてはファミコン買ってるだけの女に、そんな色のある話なんかあるわけなく、
男ってどんな生き物なのかとか、どうすれば恋が実るかとか、そんなノウハウも当然持っていない。



「…どんな人なの?」
私の口から出た質問は、先ほどの話とは明らかに飛躍している。
でも、アオバはその言葉ですべてを理解したようだ。
テーブルの一点を眺めたまま、指をいじくっている。
ブラバン吹奏楽部は、よく自分たちのことをこう呼ぶ)のOB」
「どこで知り合ったの?」
「よく、遊びに来るの。音楽室とかに」




「六歳差かあ」
私は、隣にいる不良の声で我に帰った。
隣の不良は指を折って数えている。
「七歳差」
私はすかさず訂正した。
「一浪してるの。その人。言ったでしょ。リュウタ、あんた計算もできないの?」
「知るかよ」
「だいたい、年の差がなんだって言うのよ。そんなの関係ないでしょ!」
「じゃあお前、九歳の男が恋愛対象になるか?」
「第二次性徴終わってたらもう関係ない!」
「でも、アオバがまず気にしてたのは、そこだろ?」


「うまくいってほしいの」
私は素直にそう思った。
「…友達が男と付き合いだしたら、ちょっと焦るんじゃない?
今までみたいに遊んでもらえなくなるぞ」
「そういうのはちょっと嫌だけど、
でも、アオバには、あたしに相談してよかった、って思わせたいの。
あたし、こういう感じで頼られたの初めてだから」


ふーん。
リュウタは鼻でつぶやいた。



無言。



「おいお前ら、まだ帰ってなかったのか」
私達は花沢先生の声で同時に振り返った。
「今日からテスト準備期間だ。校舎はもう施錠するぞ」



二人ともそのことをすっかり忘れていた。


「やべ、忘れてた」
「ああ、すみませんでした!」
「まあ別に焦る必要はないが、部活もやってないならもう帰りなさい」


鞄を手に取って、屋上から出ようとする。
そこでリュウタが、突然口を開いた。


「あ、そうだ先生。大学4年生と高校2年生がつきあうのって、どう思います?」
「ん? 何の話だ?」
「いやね、アオバが、吹奏楽のOBと…」
リュウタ!」


リュウタは私の顔を見て、言葉を止めた。
どうやら、相当の形相だったようだ。


「いや、なんでもねえっす」
「…何でもいいが、ほどほどにな」


先生には何の事だか分らなかっただろう。
それでも、先生の言葉は、非常に的を射ている。





(この文章はフィクションです。
実際の人物、団体、地名などとは一切関係ありません)